2014年7月2日水曜日

エレミヤ書13-15章

マラナサ・グレイス・フェローシップの6月の暗誦聖句


6月4日

クシュ人がその皮膚を、
ひょうがその斑点を、変えることができようか。
もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、
善を行うことができるだろう。         エレミヤ13:23


自分で自分の汚れをきよめることはできない。イエスの十字架の贖いによってなされる。


6月11日

イスラエルの望みである方、
苦難の時の救い主よ。
なぜあなたは、この国にいる在留異国人のように、
また、一夜を過ごすため立ち寄った旅人のように、
すげなくされるのですか。                エレミヤ14:8


どこを見ても希望がないとき、イエスの十字架の足元に行きイエスを見上げよう。そこに希望がある。


6月18日

私はあなたのみことばを見つけ出し、
それを食べました。
あなたのみことばは、私にとって
楽しみとなり、心の喜びとなりました。
万軍の神、主よ。
私にはあなたの名がつけられているからです。      エレミヤ14:16

Christianというイエスの名がつけられている私。


2014年6月6日金曜日

エレミヤ書9.11,12章

マラナサ・グレイス・フェローシップの5月の暗誦聖句

主はこう仰せられる。
「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
つわものは自分の強さを誇るな。
富む者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、
地に恵みと公義と正義を行う者であり、
わたしがこれらのことを喜ぶからだ。
ー主の御告げー
            エレミヤ書9:23,24


あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり祈りをささげたりしてはならない。彼らがわざわいに会ってわたしを呼ぶときにも、わたしは聞かないからだ。
            エレミヤ書11:14



教会に行っているからいいわけではない。聖書を読んでいるからいいのではない。イエス以外を主としているなら偶像礼拝であり、神が忌み嫌うことである。



あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、
どうして騎馬の人と競争できよう。
あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、
どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。
            エレミヤ書12:5

今の試練は大したことではないのに、文句をいってはいけない。バビロンがやってくるのだ。来るべき試練の時もしっかり信仰によって戦おう。




2014年4月30日水曜日

エレミヤ書7:23

マラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

         ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に
        聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神のとなり、
        あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせに、
        わたしが命じるすべての道を歩め。』 
                       エレミヤ書7:23
        




エレミヤ書7章

神は繰り返し民に悔い改めを促してしている。悔い改めない限り、神のさばきは免れない。神が異教の神を使ってさばくとは考えられないので、エレミヤの預言は悲観的、否定的だと言われる。 
エルサレム神殿に来ていればいいと思っている。私たちも組織、礼拝プログラム、宗教を信頼していないか。真の拠り所は主である。 北イスラエルの滅びを見ていても、南ユダは重曹信仰を止めない。神に祈ってもその祈りは役に立たない。そして、エレミヤはとりなしの祈りを禁じられる。「天の女王」別名イシュタール、アシュタロテにささげものをする民にエレミヤはバビロン捕囚を警告する。



夫の義姉の急逝のために、ライブでこのメッセージを聴くことはできなかった。ネットで聴いていたら、途中でカズ牧仕は声をつまらせ、泣いておられた。それは、カルバリーチャペルの有名牧師が、自らの罪のために辞任したが、罪の与える影響、特に子供たちに与える影響を思っての涙であったかと思う。涙の預言者であるエレミヤのように、カズ牧仕も涙ながらに語ってくださった。牧師でさえ、罪を犯すのだ。私ならなおさらである。Ⅱテモテ3:1-5は他人事ではない。







2014年4月22日火曜日

エレミヤ書6:16

マラナサ・グレイス・フェローシップの先週の暗誦聖句

                  主はこう仰せられる。
                  「四つ辻に立って見渡し、
                  昔からの通り道、
                  幸いの道はどこにあるかを尋ね、
                  それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。
                   しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。
                                       エレミヤ書6:16



Bible Study エレミヤ書6:1-30 

バビロンが攻めてきて、徹底的に叩かれることを警告されていたにも関わらず、異教の神を慕っていたイスラエル。現在も携挙があることを聞いても、人々は信じない。
心の割礼(心の包皮があれば、かみのメッセージが届かない。)耳の割礼(聞き従う耳を持つ)
口の割礼(霊的なことを語る)この三つは、本質的には同じである。この時代は、みんなが教会に集っているような時代であったが、彼らが、神の律法、みことばを退けた。神を退けたと同じである。クリスチャンは究極的に何から救われるのか。神の怒りからである。それは患難時代より前に携挙されることを意味する。

牧仕のメッセージのダウンロード はこちらから


『神の怒りから逃れる唯一の道は、キリストの贖いに覆われることである。十字架の最高の功績は、キリストが、神の怒りを和らげたことである。その御怒りは、もし私がキリストの犠牲に覆われていなければ、私に向かって燃えるものである。』 R・C・スプロール

2014年4月11日金曜日

エレミヤ書5:25

マラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

             あなたがたの咎が、これを追い払い、
             あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだ。
                               エレミヤ5:25
                

                                  Your iniquities have turned these things away,
                                  And your sins have withheld good from you.
                                                                                  Jer. 5:25 NKJV



Kaz牧仕によるBible Study エレミヤ書5:1-31

神は、だれか公義を行い、真実を求める者を見つけたらエルサレムを赦そうと憐れんでくださっているが、民は悔い改めようともしない。指導者も然り。神は罪を放置なさらない。赦しを拒むならさばきだけ。しかし、契約と慈愛ゆえにことごく滅ぼされることはない。(バビロンが来て、エルサレムが廃墟になっても)
神は良い物を拒まれないが(詩編34:10,84:11、ルカ11:13)私たちの罪が良い物を拒む。
ネガティブなことを語るエレミヤに対して聞きたくないという民のリアクションがあったが、私たちは耳痛いことを聞くとき、へりくだらなければならない。

Bible Studyはこちらから


なぜ神が私を赦さなければならないのか。学びの中でのこの言葉は強烈だった、主権者は神なのだから、赦されなくて当然なのだ。しかし、赦されている。罪人の私が。
エレミヤ書の学びでは、毎回自分の罪を指摘される。そして、随分昔に犯した罪を日常の生活の中で突然思い出す。しかも、それがどんなに罪深いことなのか、以前よりもはっきりわかる。だから、赦されていても苦い思いは消えない。罪の結果なのだ。

2014年4月6日日曜日

エレミヤ書3:22

今週のマラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

             背信の子らよ。帰れ。
             わたしがあなたがたの背信をいやそう。」
              
             「今、私たちはあなたのもとにまいります。
              あなたこそ、私たちの神、主だからです。
                                      
                              エレミヤ書3:22

                                     

                             “Return, you backsliding children,
                                      And I will heal your backslidings.”

                                      “Indeed we do come to You,
                                       For You are the LORD our God.      Jer. 3:22 NKJV



エレミヤ3:1-4:31

 神と民の関係は神との結婚であるのに、民は姦淫しながらも神に帰ると言う。申命記11:11-17にあるように雨が降らないという警告もあったが、偶像礼拝をやめなかった。背信の女イスラエルはアッシリア捕囚となったが、それを見ても南ユダは偶像礼拝を続け、神を礼拝するのは口先だけになって裏切る女になった。神は背信の女イスラエルに悔い改めを促している。申命記24:1-4には、このような妻に夫が離婚状を渡した場合、夫はその女を再び妻としてめとることはできないとあるが、神は背信をいやしてくださると約束してくださっている。
 罪を告白して心の包皮といばらを取り除かなければならない。偽緒言者は現世利益、表面的平和と預言し、民はそれを愛した。しかし、バビロン捕囚はまぬがれない。それは背信が招いたことである。

Bible Studyのダウンロード
https://onedrive.live.com/?cid=1458b6b352677c3b#cid=1458B6B352677C3B&id=1458B6B352677C3B%215220


昨日、あるキリスト教書店に行った。書棚に並ぶ本の中には、驚いたことに聖霊派の問題ある牧師や、カウンセリングで有名になり姦淫の罪を犯した牧師の本もあった。罪は赦されるが、牧師に召されているのかは疑問である。3G(Gold, Glory, Girl) の誘惑に気をつけなければ、牧師でさえも心に偶像をおいてしまう。

2014年3月28日金曜日

エレミヤ2:19

マラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句


                 あなたの悪が、あなたを凝らし、
                 あなたの背信が、あなたを責める。
                 だから、知り、見きわめよ。
                 あなたが、あなたの神、主を捨てて、
                 わたしを恐れないのは、
                 どんなに悪く、苦々しいことかを。
                 ――万軍の神、主の御告げ――
                                        エレミヤ書 2:19

                                


                                 Your own wickedness will correct you.
                                 And your backslidings will rebuke you.
                                 Know therefor and see that it is an evil and  
                                    bitter thing
                                 That you have forsaken the LORD your God,
                                 And the fear of Me is not in you.
                                 Says the Lord God of hosts.
                                                                                         Jer. 2:19 NKJV
                                                               
エレミヤ2:1-37

神は観念、概念ではなく人格のあるお方なので、人々が自分たちの渇きのために偶像礼拝に陥っていくのを悲痛な思いでご覧になっておられる。イスラエルは、神の生ける水ではなく、物質的渇きの水、感情の渇きの水、人間関係の渇きの水を求め偶像を頼り、背信の道を行く。その結果、アッシリヤに捕囚され、その後はエジプトを頼り、更にバビロンに屈服しなければならなくなる。神が罰を与えたのではない。民数記32:23後半 be sure your sin will find you out. (あなたの罪があなたを見つける)自分勝手なイエス像を礼拝しない。自分のために礼拝するのではなく、神のために存在している神を礼拝する。


下記から聴けます。
https://onedrive.live.com/?cid=1458B6B352677C3B&id=1458B6B352677C3B%212307#cid=1458B6B352677C3B&id=1458B6B352677C3B%215220


私たちは自分の罪の結果がこの身に及ぶことを知らなければならない。人格のある神はすべてをご存知なので、悲しい思いで警告してくださる。


 この本から東後氏と友人の会話を抜粋

  友人「クリスチャンは誰でもキリスト教を信じているのだろ」
 
  私「いや、私はキリスト教を信じているのではない」
 
  友人「えーっ?じゃ何を信じているの?」
 
  私「私はキリスト教を信じているのではなく、イエス・キリストを信じているんだ」
 
  友人「それは、同じじゃないの」
  
  私「いや、違う。キリスト教を信じているのではなく、イエス・キリストという人格的な神を信じてい  
  るんだ。だから、キリスト教教理を信じているのとは違うんだ」
 
  友人「ふーん、そんなものなのかなー」

2014年3月22日土曜日

エレミヤ書1:18、19

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の今週の暗誦聖句

                                    見よ。わたしはきょう、あなたを、
                                    全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、
                                    この国の人々に対して、
                                    城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。
                                    だから、彼らがあなたと戦っても、
                                    あなたには勝てない。
                                    わたしがあなたとともにいて、
                                    ――主の御告げ――
                                    あなたを救い出すからだ。」
                                                                         エレミヤ1:18、19


エレミヤ1:18、19

エレミヤは忠実に神の言葉を40年間語ったが、人々は聞き入れなかった。不毛と思われるが、神の目から見たら成功だった。適用 Ⅰペテロ1:13、Ⅱテモテ2:15

下記から聴けます。
https://onedrive.live.com/?cid=1458B6B352677C3B&id=1458B6B352677C3B%212307#cid=1458B6B352677C3B&id=1458B6B352677C3B%215220



私の母は、エレミヤとは大違いだが、40年間創価学会に入っていた。しかし、神のあわれみと恵みにより救われた。教会の姉妹のお母さんも50年間創価学会にいたが、今週救われ、真理に出合えたことを喜んでおられた。主はすばらしい!


昭和20年(1945)7月31日から8月1日にかけて米軍機が「日本国民に告ぐ」というビラ爆弾をまいた。それには、数日のうちに長野を含む地方都市の軍事施設を爆撃するから、避難してほしいと書いてあった。実際、8月13日に数機のグラマンによって、長野も空襲をうけた。広島にも、新型爆弾が落とされることが予告されていたらしい。しかし、このビラを持っているだけで、非国民、スパイと疑われ、憲兵や警察によってビラは回収されたということである。だから、多くの人はこのビラを目にしていなかった。敵国から爆撃を予告されていたのに国民を避難させなかった軍部は、原爆を投下されてやっと降伏した。戦時下にあってさえ、敵国の爆撃予告を聞き入れなかったように、2400年前のユダヤ人も神のことばに従わずに、エレミヤを殺した。


2014年3月13日木曜日

エレミヤ1:7,8

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の今週の暗誦聖句

                すると、は私に仰せられた。
                「まだ若い、と言うな。
                わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、
                わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。
                彼らの顔を恐れるな。
                わたしはあなたとともにいて、
                あなたを救い出すからだ。
               ――主の御告げ―― 」     エレミヤ1:7,8


今週の水曜日のBible Studyはエレミヤ書 序論及び1:1-10


忠実な神のしもべエレミヤは、霊的暗黒時代の南ユダに涙ながらに預言し続けた。それはイエス

がエルサレムを見て泣かれたのと同じである。そして、私たちは、神が語れということを忠実に語

り、人にへつらうべきではない。神は成果を求めておられるのではなく、忠実を求めておられる。

――と教えられた。

下記からダウンロードして聴ける。

http://www.mgf-jc.com/daunrodo





この本は、世界史を大きく動かした大事件(紛争・戦争など)を100選び出している。その一番始

めの重大事件がバビロン捕囚である。『ユダヤ人たちはこのような民族的な苦難を体験する中で、

唯一の神ヤハウェへの強固な信仰をもつようになった。』『キリスト教の母体となるユダヤ

教の基礎がつくられた。』とある。キリスト教の世界への影響を考えれば、一番最初にあってしかる

べきなのか。聖書的に見たら、天使ルシファーの神への裏切りが最初の事件なのだ。

                              

2014年3月6日木曜日

箴言31:29,30

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の今週の暗誦聖句

            
          「しっかりしたことをする女は多いけれど、
          あなたはそのすべてにまさっている」と。
麗しさはいつわり。
美しさはむなしい。
             しかし、を恐れる女はほめたたえられる。  
                                         箴言31:29, 30

                                Many daughters have done well,
                                But you excel them all.
                                Charm is deceitful and beauty is passing,
                                But a woman who fears the LORD, she shall be praised. 
                                                                                       Pro. 31:29, 30 NKJV


今週のBible Study 箴言31:10-31

ここには妻、母の理想像が書いてある。この理想の女性の土台は、主を恐れることである。主にどう思われるか、主がほめてくださるかが大事なことで、今は理想の女性でなくても主が導いてくださると教えられた。

                             ❤

  イギリスの女流作家ジェイン・オースティンの恋愛を描いた映画『ジェイン・オースティン秘められ た恋』の冒頭に、ジェインの父である牧師が女性の心得を壇上から説教するシーンがある。”知性などは決して表に出さないように”とかは、聖書に書かれていないし、箴言31:10-31の理想の妻は、知性全開である。ただし、26節に”彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。”とある。


                      

2014年3月4日火曜日

箴言31:3

MARANATHA GRACE FELLOWSHIP( MGF)の今週の暗誦聖句


               あなたの力を女に費やすな。
               あなたの生き方を
               王たちを消し去る者にゆだねるな。  箴言31:3
      
                               Do not give your strength to women,
                               Nor your ways to that which destroys kings.  NKJV



水曜日のBilble Study 箴言31:1-9 

 箴言31章は女性のためのみことばとして有名だが、実は「マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば」なのであった。(31:1) 
暗誦聖句箇所については、
Ⅰペテロ2:9「あなたがたは~王である祭司~」、黙示録20:6 「この第一の復活にあずかる者は~キリストともに、千年の間王となる」

から、クリスチャンは王でもあるので、異性に限らず永遠に残るものに力を費やすべきである、と教えられた。
   
   丁度、レンタルで『サムソンとデリラ』を観たが、まさしくサムソンはこのみことばの反面教師であった。今回、観たのはデニス・ホッパーが将軍役で出演する作品であるが、大筋はともかく、聖書とちがう点も多々あり、大方のクリスチャンは不満に思うだろう。しかし、もっと昔のセシル・B・デミル監督の『サムソンとデリラ』より、サムソン個人の信仰復興が描かれていると思う。いずれにしても、いい教師のもとで原作である聖書を読むのが一番である。