2014年4月30日水曜日

エレミヤ書7:23

マラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

         ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に
        聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神のとなり、
        あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせに、
        わたしが命じるすべての道を歩め。』 
                       エレミヤ書7:23
        




エレミヤ書7章

神は繰り返し民に悔い改めを促してしている。悔い改めない限り、神のさばきは免れない。神が異教の神を使ってさばくとは考えられないので、エレミヤの預言は悲観的、否定的だと言われる。 
エルサレム神殿に来ていればいいと思っている。私たちも組織、礼拝プログラム、宗教を信頼していないか。真の拠り所は主である。 北イスラエルの滅びを見ていても、南ユダは重曹信仰を止めない。神に祈ってもその祈りは役に立たない。そして、エレミヤはとりなしの祈りを禁じられる。「天の女王」別名イシュタール、アシュタロテにささげものをする民にエレミヤはバビロン捕囚を警告する。



夫の義姉の急逝のために、ライブでこのメッセージを聴くことはできなかった。ネットで聴いていたら、途中でカズ牧仕は声をつまらせ、泣いておられた。それは、カルバリーチャペルの有名牧師が、自らの罪のために辞任したが、罪の与える影響、特に子供たちに与える影響を思っての涙であったかと思う。涙の預言者であるエレミヤのように、カズ牧仕も涙ながらに語ってくださった。牧師でさえ、罪を犯すのだ。私ならなおさらである。Ⅱテモテ3:1-5は他人事ではない。







2014年4月22日火曜日

エレミヤ書6:16

マラナサ・グレイス・フェローシップの先週の暗誦聖句

                  主はこう仰せられる。
                  「四つ辻に立って見渡し、
                  昔からの通り道、
                  幸いの道はどこにあるかを尋ね、
                  それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。
                   しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。
                                       エレミヤ書6:16



Bible Study エレミヤ書6:1-30 

バビロンが攻めてきて、徹底的に叩かれることを警告されていたにも関わらず、異教の神を慕っていたイスラエル。現在も携挙があることを聞いても、人々は信じない。
心の割礼(心の包皮があれば、かみのメッセージが届かない。)耳の割礼(聞き従う耳を持つ)
口の割礼(霊的なことを語る)この三つは、本質的には同じである。この時代は、みんなが教会に集っているような時代であったが、彼らが、神の律法、みことばを退けた。神を退けたと同じである。クリスチャンは究極的に何から救われるのか。神の怒りからである。それは患難時代より前に携挙されることを意味する。

牧仕のメッセージのダウンロード はこちらから


『神の怒りから逃れる唯一の道は、キリストの贖いに覆われることである。十字架の最高の功績は、キリストが、神の怒りを和らげたことである。その御怒りは、もし私がキリストの犠牲に覆われていなければ、私に向かって燃えるものである。』 R・C・スプロール

2014年4月11日金曜日

エレミヤ書5:25

マラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

             あなたがたの咎が、これを追い払い、
             あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだ。
                               エレミヤ5:25
                

                                  Your iniquities have turned these things away,
                                  And your sins have withheld good from you.
                                                                                  Jer. 5:25 NKJV



Kaz牧仕によるBible Study エレミヤ書5:1-31

神は、だれか公義を行い、真実を求める者を見つけたらエルサレムを赦そうと憐れんでくださっているが、民は悔い改めようともしない。指導者も然り。神は罪を放置なさらない。赦しを拒むならさばきだけ。しかし、契約と慈愛ゆえにことごく滅ぼされることはない。(バビロンが来て、エルサレムが廃墟になっても)
神は良い物を拒まれないが(詩編34:10,84:11、ルカ11:13)私たちの罪が良い物を拒む。
ネガティブなことを語るエレミヤに対して聞きたくないという民のリアクションがあったが、私たちは耳痛いことを聞くとき、へりくだらなければならない。

Bible Studyはこちらから


なぜ神が私を赦さなければならないのか。学びの中でのこの言葉は強烈だった、主権者は神なのだから、赦されなくて当然なのだ。しかし、赦されている。罪人の私が。
エレミヤ書の学びでは、毎回自分の罪を指摘される。そして、随分昔に犯した罪を日常の生活の中で突然思い出す。しかも、それがどんなに罪深いことなのか、以前よりもはっきりわかる。だから、赦されていても苦い思いは消えない。罪の結果なのだ。

2014年4月6日日曜日

エレミヤ書3:22

今週のマラナサ・グレイス・フェローシップの今週の暗誦聖句

             背信の子らよ。帰れ。
             わたしがあなたがたの背信をいやそう。」
              
             「今、私たちはあなたのもとにまいります。
              あなたこそ、私たちの神、主だからです。
                                      
                              エレミヤ書3:22

                                     

                             “Return, you backsliding children,
                                      And I will heal your backslidings.”

                                      “Indeed we do come to You,
                                       For You are the LORD our God.      Jer. 3:22 NKJV



エレミヤ3:1-4:31

 神と民の関係は神との結婚であるのに、民は姦淫しながらも神に帰ると言う。申命記11:11-17にあるように雨が降らないという警告もあったが、偶像礼拝をやめなかった。背信の女イスラエルはアッシリア捕囚となったが、それを見ても南ユダは偶像礼拝を続け、神を礼拝するのは口先だけになって裏切る女になった。神は背信の女イスラエルに悔い改めを促している。申命記24:1-4には、このような妻に夫が離婚状を渡した場合、夫はその女を再び妻としてめとることはできないとあるが、神は背信をいやしてくださると約束してくださっている。
 罪を告白して心の包皮といばらを取り除かなければならない。偽緒言者は現世利益、表面的平和と預言し、民はそれを愛した。しかし、バビロン捕囚はまぬがれない。それは背信が招いたことである。

Bible Studyのダウンロード
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昨日、あるキリスト教書店に行った。書棚に並ぶ本の中には、驚いたことに聖霊派の問題ある牧師や、カウンセリングで有名になり姦淫の罪を犯した牧師の本もあった。罪は赦されるが、牧師に召されているのかは疑問である。3G(Gold, Glory, Girl) の誘惑に気をつけなければ、牧師でさえも心に偶像をおいてしまう。